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●●● 第１詩 ●●●
=== by 満 月 ===
くつくつ くつ
台所で おなべの音がしている
なんで夕御飯の用意なんか始めたんだろう
無視してしまおうと思いながら
気がつくと火をゆるめに立っている
途中 二度よろけた
時間がないのに 時間がないのに
食事なんてどうでもいい
書き残さなければならないことが
まだ たくさん残っているのに
彼の夕食の準備をする
昨日も 今日も
なんでもないフリをつづけている
短大に通っているなんてウソだ
もちろん まだ籍はあるけど
学生課に行けば
ちゃんとわたしの名前が登録されているけど
毎日 行ってきますと空元気だして
電車で学校に通うフリして
駅前からバスに乗って病院に通っていたけれど
昨日は駅までたどり着けなかった
先生 血相変えてた
わたしが蒼い顔で 救急車で運び込まれたから
入院しても直らないんでしょうわたしの血もうだめなんでしょう
そうやって いつもの駄々をこねようとしたけど
涙がとまらなくて
なんにも言えなかった
マンションの前で助けてくれたのが
どうして あの娘だったの？
押し問答して 先生の言葉振り切って
病室を飛び出した廊下で
あの娘が待っていなければ
「大丈夫？」とも
「どんな病気なの？」とも訊かなかったあの娘
彼の連絡先を尋ねようともしなかった
ただ バス停まで歩こうとして叱られた
知り合いだったのかな
病院からマンションに向かったタクシーの運転手と
あの娘はなにか言葉を交わしてた
お客さんお見舞いですかと訊かれた言葉に
わたし白血球が少なくて もうすぐ死ぬんですと
どうして あんな風に言ってしまったのだろう
あの娘は困った顔で
東の空の白い月を見ていた
彼が帰ってくるまで
もう あんまり時間がない
おかえりなさいと
いつものように 言えるだろうか
この身体が
持ちますように
彼のまえで 倒れたりなんかしませんように
病気のこと以外にもうひとつ
彼に隠し事をしている
それは わたしがこのＩＤで
彼のパソコンと通信ソフトを使って
この会議室に発言をしてること
きっかけは 遊び半分で立ち上げたパソコンだった
膨大なログと 彼を含む無数の人たちの会話の跡
そこにいる彼が
わたしの知ってる彼じゃなかったことが
とても斬新だった
この会議室では
わたしはわたしでなくなることができる
それが 「満月」というハンドル名を
彼に内緒でまとった理由
お米 研がなければ
今日は買い物に行けなかったから
じゃがいものないシチュー
キーボードを叩く指がふるえてる
早く 書き終えて
夕御飯の支度をつづけよう
なにかあったら
あたしにできることがあったら
いつでも呼んでね
この部屋まで送ってくれたあの娘は
そう言って となりの部屋に帰っていった
ありがとうの一言も言えなかったのは
あの娘が この会議室でなお
ドアに掲げた自分の名前でいられるから
ううん きっと逆ね
現実のあの娘が この会議室とおなじだったから
無論あの娘は
昨日 自分が助けた女が
ここで「満月」という名を語っていることなど
きっと 知らなかったはず
まして わたしが遠い昔から
彼女が隣りの部屋に住んでいると知っていたとは
夢にも思わなかったはず
今日までは
この場所で
もう一度 別の存在に生まれなおしたかった
新しい人格と身体を
手に入れたかった
でも そんなに都合よくはいなかったね
だってわたしは この会議室でも
自分じゃないようには振る舞えなかった
身体を病んだ 心を病んだ少女だったもの
でも それももう終わる
まもなく 非現実が現実に吸収される
この会議室の「満月」が
どれだけ苦しんでも 救われても
現実のわたしが死んでしまえば
消えてしまうから
なくなって なにもなかったことになるから
彼がうらやましい
完全に別の人格をまとえる彼が
あの娘がうらやましい
この場所でなお現実を保っていられるあの娘が
ねむい ねむうい
早く 書き終えなければ
まだたくさん
書き残さなければならないことがあるのに
ごめんなさい
あなたが昨日マンションの前で助けてくれた
あの痩せっぽちな女が「満月」です
あなたはこの会議室で わたしを救おうとしてくれた
きっと 「満月」は救われました
それでも 現実のわたしの身体は
朽ちつづけているの
誰にも どうしようもないことなの
いつもの憎まれ口をきけなくて
ごめんなさい
だから お願い
現実の あなたの隣りの部屋のドアを叩かないで
最後まで非現実のなかで
救いをください
現実のわたしは あなたでは救えない
「満月」を救ってください・・・・
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