●●●　第５詩　●●●

　　　　　　　　　　　　　　　　　 === by 満 月 ===

今は　時の流れが
とても　とても静かだ
ただ静かに
わたしの身体が
年をとっていく

それは単純に
老いていくのではなく
あるいは　朽ちていくのでもなく
ただただ
時が刻まれていくの
わたしのなかで

今日はとてもおだやかな
まあるい満月です
病室の窓のむこう
わたしの満月が
あんなに光っている
好き通った空で

わたしの月の正体は
たくさんの心を切り裂いた
銀色のナイフです

それを　わたしは
はじめから知っていた
知っていて
それでも　人を傷つけて
そうすることで
わたしは　傷を負って
死んでしまいたかった
自分で自分を殺してしまったら
わたしは
自分が存在しなかったことになるようで

怖かった

今はまだ
特に制限時間なしに
パソコンと向き合っていられる
きっともうすぐ
お薬の副作用がでてくるだろう
いつまで
笑っていられるだろう
看護婦さんが
さっき様子を見に来てくれた時みたいに

このところ
時間のほとんどを
今までのログを読むことに費やしている
たくさんの人のつづった言葉から
心を　丁寧に丁寧に
拾いあげること
やっと　気づいた
大切なことのひとつ

そうだ
言葉だけじゃない
わたしが　こうして生きていて
感じる事象のすべてに
もっと　もっと
耳をすませていたいと思う

彼は今晩は
わたしの実家に泊まるんだと言って
夕方に　病院から帰っていった
わたしのおとうさんやおかあさんと
話をするんだと言って

たくさんの嘘を
重ねていたんだ
たくさんの　ついてはいけない嘘を
わたし

今日は　とてもおだやか
まるで
なにもなかったかのように
そう
毎日　すこしずつ
それでも　わたしの身体は死につづけている
このまま　やがて消滅すること
あれだけ
恐れていたこと
今まで　生きてきた
一瞬一瞬と　なにひとつ変わらない
みんなと
生きている人　一人一人と
なにも変わらないのにね

もう一度
あの娘の詩を読んで
それから
月をながめながら眠ろう・・・・

●●●　第６詩　●●●

　　　　あたし

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　マユコ　(の。の)

特定の誰かと関わるためには
理由がいるのだと
その理由を見つけることが
生きて　存在することなのだと
そう　思いこんで

あたし

前に進むための　かてにしようとしていた
自分を責める口実を　見つけた気でいた

そうじゃない
断じて　そうじゃなかった

月や太陽を語り
人の生や心を　言葉に置き換え
あたしは
良薬を作り出した気でいた
そんな風にしか
人と　関われなかった

「頑張ろうね」を伝えるために
理由なんて　必要ない
それなのに

言葉で飾っただけの
月や太陽が
あたしの意志を離れて　現実を歪め
嘘のあたしを作り出して
あたしは　時折
それが　本当の自分なのだろうかと
思いはじめている

あたしは　普遍的な愛のために
普遍的な言葉で
普遍的な詩をつづる
普遍的な人間だった

あたしは

あたしは

積谷繭子という輪郭をまとった
一人の　人間

そんなことも
知らなかったなんて

明日は
あなたの輪郭の名前を
呼ぶことから
始めさせてください

●●●　第７詩　●●●

　　　　　　　　　　　　　　　　　 === by 満 月 ===

毎日　家から１キロ離れた河原で
ジョギング　しているから
「トレーニングくん」なんてあだ名で
呼んでたのよ 彼のことって
笑った　彼女

毎日の点滴で 無残になった
わたしの腕を
そっと　撫でてくれる

わたしの代わりに
パソコンのキィボードを叩く
とても　白い指

長い　長いあいだ
体調がよくなくて
まともに　返事もできなかったので
逢いたいの　遊びにきてって
今日は　看護婦さんに
電話してもらった

くすくす　くす
窓辺の鉢の花が
笑う声

ベッドのすみに　うずくまっている
大きな　黒猫
彼女の詩のなかの住人が
目の前にいる
まるで　おとぎ話のように
「カノン」　と名前を呼ぶと
その時だけ　面倒そうに顔をあげる
もういい歳なのよね
彼女が　カノンの頬を撫でる

比べたりなんか　できない
どちらの黒猫も
どちらの 彼女も
わたしにとっては　現実

看護婦さんが来たら
カノンをどこに隠そうか？
くすくす　くす
よい知恵が浮かばない

ほんとのところ
あたしは　自分の詩や文章が嫌いで
ううん　嫌いだった
だから　そんな「嫌い」がつまった自分自身を
たくさん　憎んで

憎んだフリをして

にゃあと　カノンが鳴く
彼女は窓をあけて
風を　病室に呼び寄せてくれる

わたしは　満月です

それが　今
いちばん　嬉しいこと
満月になれて　よかった

よかった

もうすぐ　彼が
トレーニングから　帰ってくる
そうしたら
真っ先に　呼んであげよう
「おかえり、トレーニングくん」って

彼女と　ふたり
笑いころげよう・・・・

●●●　第８詩　●●●

　　　　　　　　　　　　　　　　　 === by 満 月 ===
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（代理アップ：マユコ）

　　　　小さなわたし

ちいさな わたし
かぜのなかを あるいていく
やまやもりが ごうごうおとをたてても
ちっとも へいき

ちいさな わたし
あめのなかを およいでいく
まちじゅうが うみになる
ひんやりと きもちがいい

ちいさな わたし
やみのなかを くぐりぬけていく
じぶんのあしおとが じぶんのものだということが
とても うれしい

ちいさな わたし
ひとのなかを とおりすぎていく
こんこん とびらをたたく
こんこん へんじがきこえる

ちいさな わたし
こころのなかを のぞいてみる
これが わたし
おはよう わたし

●●●　第９詩　●●●

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　マユコ　(の。の)

チューインガムをふくらませながら
歩いていた彼が

手を差し出して
「握手」と云った

彼女を最期まで抱いていた手

病院から家まで
ふたりで歩いて帰った
街を抜け河原を過ぎて

彼は昨日までずっと
満月の絵を描いていたのだという
蒼い蒼い海のなかで
静かにただっていた
金色のやさしい満月の姿

絵を指でなでながら
なにが描いてあるのかを訊くかわりに
目をとじて
ただ絵を抱きしめていた
彼女

途中の公園で
ベンチにすわってドロップを食べながら
彼女がそう云い遺したように
一度だけ泣いた

拝啓　満月さま

あたしは
ここにいます

ひと晩をかけて
深い藍色の空を横切った月が
地平線のむこうに
姿を消す

明日
あしたが来る

今日は満月

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　積谷繭子