マユコ　7

オブジェを思わせるのは
曲面と線が組み合わさっているからだ
無心に見えるのは
全体に施された白い塗装が
白樺と相俟っているからだ
そんな分析を
詩の中に織り込むのが好きだった
嗜好というよりも
癖なのかもしれない
空気が静まり返って見えるのは
あれは　声を発しているからです
空気が張りつめているのは
あれは　星が見ているからなのです

案内をしてくれるはずだった人が
場内で行方不明なのだと
背の高い男の人が
迷惑そうでもなく　付きあってくれた
へえ　詩人ですか
よそ行きの名刺を渡すと
珍しそうに
あたしの名前を三度読み上げて
友達に同姓同名の人がいましたよ
遠い目をされた
案外　あたし本人ではなかろうかと
記憶を手繰り寄せてみる
ひょろりと高い男の容姿に
心でこっそり　キリンと名付ける

「ええと、
　何見たいですか」

観測をしている人達
と言うと
残念そうに首を振った
今日は夜だけなのだそうだ
ほとんど機械がやっているんですよ
それに　とキリンさんは付け加えて
結構恥ずかしいものだから
傍に誰かがいると
と　笑う

直径何十メートルという
巨大な電波望遠鏡の中を見せてもらって
素直に溜め息が出た
ズボンを履いてくれば良かった
途中まで階段を昇らせてもらって
主鏡という
巨大な受信部の真下にたどり着く
電波が横切る道に
恐る恐る手を出してみて
手の平に影が落ちている
あたしの心の中にも
やっぱりこんな道があって
いろんな情報が行き交っているのだろうか
いろんな人がいるんですよと
キリンさんが教えてくれる
手や顔を出す人
紙を突き出してみる人
星からのメッセージは
どこにだって降りしきっているんです
ここはほんの少しだけ
凝縮しているに過ぎない
その　ほんの少しを生み出す英知が
皆さんの心を揺り動かしているんでしょう
キリンさんは照れ臭そうに
今時　優越感なんて単純なもので
これだけの人間が集まっているんですと
胸を張った途端
天井で頭を打った
カメラマンが手持ち無沙汰に
観測をする装置はどれですかと訊く

敷地を真っ直ぐに横断する道路を歩いて
望遠鏡から離れた
傍らの白い建物が
なにか　邪魔ものに思える
離れたところにも
小さな望遠鏡が幾つか並んでいて
あっちは可愛いですねと言うと
あれでもビルの四階はあるんです　と
即座に正される
白い建物の屋上に
見え隠れしている人たち
あの場所　望遠鏡がよく見えそうですね
指差すと
あいつらあんなとこにいたのか　と
男の人は
一瞬だけ日常の顔にもどった

ツキくんに逢いたい
ただ　それだけのことに
随分と時間がかかった
でも　あたし
よく頑張ったね

ごめんね　なるみ
今ごろ
ツキくんに逢えたかしら

風が吹いている
白樺が枝を揺らしている
沸き立った雲が
景色を押し流そうとしている
見上げていると
寄る辺ない気持ちになるけれど

動いているのはいつも
雲の方なんだね

望遠鏡が
星を聴いているよ

なるみ　7

何年も会えなかったぶんを
取りもどそうって思ったわけじゃないけれど
息をするのももったいないくらい
たくさんしゃべった
死んでしまったチロちゃんのこと
おかあさんの童話のこと
みんなに腹をたててばかりだった毎日のこと
また訪ねていらっしゃいよ
チョウコさんがそう言っても
言葉がとまらなかった
ひとつの言葉を言いたくなくて
水たまりのまわりを
グルグル回っているみたいな気分
夕方の休憩コーナーには
人っ子ひとりいない
窓のそと　赤い折り紙をはったみたいな空
ありふれた例え方ねえと
思って　笑ったしゅんかん
涙がでた

「おとうさん、二人じゃさびしいよ」

素直に言えた
おとうさんのことも
おかあさんのことも
全部　許そうって思った
家族会議をひらきます
テーマは家族愛です
関係者はもれなく参加してください
出席者は
かならずひとつ　お土産をわすれないこと
用意してきたとおり言うのはむずかしい
あさってはどうかな
いいんじゃない？
おとうさんははっきりとうなずいた

「なんだ、こんな所にかくれていたのか」

見覚えのある
背の高い男の人がひょっこり現れる
さっき玄関にいた人だったっけ
おとうさんの頭をつついて
この野郎すっぽかしやがって　と笑う
いんてんしょなりだろ
まさか　そこまで読んでないですよ
不思議な会話が飛び交う
あ　そうそう
男の人が不思議そうにわたしを見たので
積谷成美です
あわてて頭をさげた
ああ　きみも積谷さん？
この子ツキくんの娘さんなの
チョウコさんが笑って
男の人はきょとんとした

「客、どうしました？」
「さっきまで所長と話してたけど、
　もうタクシーで帰ったよ」

すいません　まかせちゃって
おおよ　肉体労働で返せよ
チョウコさんの脇をつつくと
照れくさそうに
これでもフィアンセなのとささやく

「フィアンセって？」

足と足を鎖でつなぐこと
からかって　男の人にけとばされた
おとうさんが
なんだろう

みんな
少しずつ
意気地なしだったんだね

笑いがこみあげる

　　リリコちゃんがそのいたずらを思いついたのは
　　ほんとうにちっぽけなことからでした

おかあさんの童話の書き出しを
口ずさんでみる

　　おかあさんが焼くクッキーをまって
　　イスにすわって足をぶらぶらさせていました

夕陽に照らされて
アンテナがまっ赤に染まっている

　　振り子時計の「カチ」が一回ぬけたので
　　顔をあげると
　　時間がふわふわと空気にうかんでいました

みんなならんで飲んだジュースがおいしい
お土産かあ
おとうさんがほんとうにうれしそうで

電車に乗る時間よ
チョウコさんに肩をたたかれるまで
わたし
ずっとおとうさんを見ていた

マユコ　8

藍色の生き物が
東の空を呑み込んでいく
カメラマンを乗せて走り去った車の軌跡を
電話ボックスの中で
ずっと追いかけていた
頑張れよと
肩を叩かれた感触が消えない
それじゃあと受話器を置くと
思いの外冷たい風に体が震えた

一泊くらいしてくれば？
有美流の逆説が心地よい
そんなに心配なら
早く帰ってきて
自分で電話番をしなさいな
自動販売機でオレンジジュースを買った
あと二十分の待ち時間がもどかしいと
のどかに自分を分析する
星々について語る人々や
カメラマンの被写体を見る目
決して一面で評するわけではないけれど
その一面を有している　それだけで
うらやましいと気持ちが揺れる
くやしさが
とても嬉しい

頑張らなければ

空になった缶を投げると
ごみ箱にはかすりもせずに
ホームに転がった
下手ねえ
声が聞こえて　振り返ると

なるみがいて

缶を拾ってごみ箱に入れる

笑いがこみ上げた
世の中の仕組みは
とても簡単に何かを何かと繋ぎ合わせて
それで意味があるように見せかけて
人々が退屈したり
余計なことを考えはじめないように
調整しているのだろうか
なんて　思考を
もう随分と繰り返してきたね
あたしは
何も感じなかった
三十年以上生きてきて
あたしは人生について
何も感じたことがなかった
いつも考えていただけ

魔法が
解けたね

「おかあさん、取材終わったの？」

今から帰るところよ
あたしの知っているなるみと違って見えるのは
そう　たぶん
ピンと背を伸ばして
胸を張ったなるみと
向き合うのが久しぶりだからかもしれないね

「おとうさんに逢えた？」
「うん、百パーセントまちがいなくおとうさんよ」

なるみは笑顔であたしのよこに座る
お小遣いはたいたかいがあったわあ
悪戯っ子の顔で
あたしを見て
得意そうに
おかあさんも逢いたい？
そりゃあそうよ
今までずっと我慢してきたんだもの
一言ごとに真実が増えていく

「元気だった？」
「うん。
　手がごつごつして、すごく日に焼けてるの。
　大学で勉強しているんだって」

へえ　どんな勉強なのと
問う言葉を呑み込んで
藍色が垂れ込めた空を見上げる
アナウンスが流れて
電車のヘッドライトが浮かび上がる
そんな面白そうなこと
直接ツキくんからきかなければ
もったいないもの

「あたしも逢いに行こう」

ブブーッ　残念でした
なるみが舌を出す
明後日　おとうさん家に帰ってくるよ
家族会議をするの
不平の声をもらしたのは　あたし？
そんなのずるい　が半分

電車がホームに滑り込む

あとの半分が
あたしのとなりで笑い転げている
なんて悔しい日なんだろう
石でもぶつけてやろうか

まったく

なるみ　8

成美　あなたはあたしより先に逢ってるもんね
なんて不条理なことを言って
おかあさんとおとうさん　二人並んで
ベランダで外をながめている
帰りの電車賃分で買ったコーヒーメーカー
こぽこぽ　歌う声に合わせて
わたしは一人
椅子に座って足を踏み鳴らす

チロちゃんがいなくて
淋しくなったね
首に付けていたリボンを
おかあさんは振りこ時計の猫のしっぽに結んだ
あたし感傷って大好きだったの
泣いたり笑ったり
駄々をこねたり
子供のわたしの特権をうばって
はしゃぐおかあさんに
負けるわけにはいかないね

「ねーぇ、おかあさん」

勝手にパソコンをスタートさせて
文章を書くソフトに
思いついた言葉をならべてみる

　　ちろちゃんはそのひも
　　おひさまがしずむまで
　　こうえんであそんでいました
　　まっくらになると
　　ともだちのはなちゃんもりりこちゃんも
　　おうちにかえってしまいました
　　それでもひとりであそんでいると
　　じゃんぐるじむもすべりだいも
　　よびにきたおかあさんといっしょに
　　いなくなってしまって
　　こうえんはただのあきちになりました
　　それでもちろちゃんがあそんでいると
　　あきちはおおきなせのびをして
　　まるまって　ねてしまいました

おかあさんは
お仕事でお話を書いて
お金をかせいでいるんだ
ふと　思う
おとうさんはどうやって
大学にかようお金をかせいでいるんだろう
体がふるえた

「あれえ、珍しいじゃない」

突然　おかあさんの声が降ってきて
あわてて文章を消そうとして
どうすればいいか分からなくて
二人にしっかり見られてしまった
成美ってやっぱりあたしの娘ねえ
そうかな　ちっとも似てないよ
わたしがすねる前に
二人で言い合いをはじめる
テーブルにならんだ
コーヒーメーカがみっつ
おとうさんとおかあさんが
なに持ってくるか
楽しみだったのにね
家族なんだね

玄関のベルがなって
ドアをあけると　有美さんがいた
コーヒーだけじゃさびしいでしょう
いつものケーキの箱が
今日はとてもうれしい

「あのね、今けんかのまっ最中なの」
「そっかあ。
　成美ちゃん、見るのはじめて？」

くすくす笑って
出直すわ　ジャマしちゃ悪いから
パタンとドアがしまって
ケーキの箱だけが残る
きっとマユコなら月と太陽をけんかさせるんだぜ
なによバカのひとつ覚えって言いたいの
台所で　ケーキをお皿に盛りつけるあいだも
素直じゃない二人は
ごめんなさいが言えなくて
ぐるぐる　おんなじことばかりくりかえしている

今日はココアはやめにして
コーヒーを飲んでみよう

テーブルにケーキのお皿をならべて
三人分のコーヒーを入れて
冷める前に終わりますように
チロちゃんの振りこ時計にお祈りする

お話のつづきを考えながら
テーブルにひじをついて
コーヒーに口をつけてみる

やっぱり　にがい

でも
悪くないね