マユコ　４

朝　一番で
雑誌の記事の取材のための旅程を
代理店と相談してから
何かがあった時だけ通る特別の道を
ゆっくりと歩いた
自分で動いて　自分で見つける言葉の旅も
これが最後

枯れたプランターの花を処分した
お湯の出なくなったお風呂を見捨てて
銭湯に出かけた
誰からも連絡がないと思ったら
電話のベルが壊れていて
有美が心配して訪ねてきた

なるみならきっと大丈夫だと
河原の花を摘む
あの娘なりに道を見つけたのだ
そんな気がする

動き出すわけにはいかないのだ
どこへ向かえばいいか判らない以上
たとえあたし
有美に張り倒されたって

一人で笑う癖はもうよそう
幸い　雨は来ない
居心地の良さそうな傾斜を見つけて
横になる
花の香りがこんなに強いことを
長らく忘れていた

最初から判っていたのにね
書くことで
ツキくんに逢えるなら苦労はしない
あたしがここにいることを
ただ知らせたいだけだった
生活をすること
想いを遂げること
両立なんてできるわけないと
諦めてしまいたくなかった
でも

両方
なくしてしまいそうだよ

割れたカップや　枯れた花のように
都合よく
人は死んだり生まれたりしないんだよ
精算なんて
情けない言い訳なんだよ

そう
ツキくんの居場所を訊いたって
ちっとも恥ずかしいことじゃないのにね

胸を張って歩かなければ
この道に失礼だ

向こう岸を
大きなトラックが通り過ぎていく
五月にも引越しをする人がいるんだよ
鉄橋を電車が渡る
毎日　旅立つ人がいるんだよ
昨日はなるみだったように

名前を呼ばれて顔を上げると
有美が手を振っている
斜面を駆け下りてくる
ねえ　昨日
なるみちゃんが駅から電車に乗ったのを
覚えてた人がいたの
風に乗って
なんて　力強い声なんだろう

世話ばっかり焼かせて
ごめんね
今日　一日だけ
不安定かもしれないけれど
まだ　何処へ向かうか判らないけれど
大丈夫よ

あたし

きっと
なるみとツキくんと
一緒に暮らすから
それまで二度と泣いたりしないから

なるみ　４

鳥のなき声がずいぶんちがうと
おもって　目がさめた
窓のそとがきらきら光っていて

朝　お日さまがのぼるのは
東の方向なんだよ

ひとりで笑った

チョウコさん　っていうのが
いま　床で毛布をかぶっている人の名前
おとうさんが出てくるかとおもって
ドキドキしたけど
代わりに住んでいたのは
大学の先生だった
くわしく説明してくれたけど
そのうち　あきらめてしまって
楽しそうに　ひとり笑ってた
そうかあ　わたし先生かあって

すこしがっかりしたけど
でも　おとうさんがいることは
ウソじゃなかった
時々　おかあさんたちが夢見てるだけで
おとうさんなんて
どこにも存在しないんじゃないかって
思ったこともあったから

どうしておとうさんは
帰ってきてくれないんだろう
わたしなんかには分からない
むずかしい理由なんだろうって
かんがえなかったけど

おかあさんが
会いにいかない理由だって
かんがえたこと　なかったけど

毛布をひっぱりよせて
じっとしていると
ちょっとずつ窓のそとが暗くなっていく
そっかあ
お日さまはまぶしすぎるけど
見なくても　動いているのがわかるんだね

「あらぁ、あなた」

チョウコさんが起き出していて
はやいのねえ　と大きなあくびをひとつ
おはようございます
あわててとび起きようとして
ベッドからころげおちた
チロちゃんが
いつもだったら走ってきて
ミルクをねだるのにね
もう　いない
いないんだよ

「はい、ココア」

目のまえに　マグカップ
びっくりして顔をあげると
好きかと思ってさあ
チョウコさんが笑っている
あの　おかあさんの本読んだんですか
ふしぎそうに首をかしげて
ツキくんがいつも飲んでたのよ
研究室で　と
椅子にすわってパソコンにむかった

おかあさんとおんなじ
画面のなか　文字がならんでる

なのに
ちっともヘンじゃない

「あの、
　ありがとうございました」

ほんとうは
いっぱい　聞きたいことがあるのに
何を聞いたらいいのか分からない
分からないね
おとうさん　どうして大学生になって
勉強なんてはじめたのか
どうして帰ってこないのか

「学校に行って、お昼ごはん食べようか。
　そしたら、ツキくんの研究室も見れるし」

その前に　ちゃんとおかあさんに電話しなさい
振り返ったチョウコさんに
はいとうなずく
おかあさんごめんね
ちゃんとあやまろう
おとうさん　連れて帰るからね
ちゃんとそれまでに
お仕事おわらせててね
受話器を取って　ボタンを押す

振り返ってみると
くすくす　チョウコさんが笑っている
あんた　ツキくんそっくりねえ
びっくりして
受話器を落としてしまった
もしもし　もしもし
おかあさんの声がする

お日さま
今　どこにいるのかな

マユコ　５

泣かないと決めたから
有美の方を見られなかった
静かになった受話器のよこ
メモ帳に並んだ数字は
北の街の市外局番
娘のなるみが一人で旅したことも
その行動力も
ましてや　ツキくんの居場所も
なにもかもが切なくて
拍子抜けだった？
友達の有美が笑っている

「取材は、
　予定通りに行くつもり？」

うなずくのが判っていたのか
有美はなにも言わなかった
お土産のシュークリーム
二人ならんで頬張って
今日はなんにも壊れなかったって
言ったら
不思議そうに首をかしげた

あたし
動き出したのだろうか

サラダ食べたいなあ　と言ったら
有美が吹き出した
牛乳　飲む？
台所のグラスには皹が入っていたけれど
構わず二人で回し飲みした
ねえ今度
お互いの本を朗読して
テープに起こそうか
それをね　二本組みにして
図書館や学校に配るの

「ねえ、有美。
　今あたし、どれだけ悔しいか判る？」

折りたたんだ膝を伸ばす
しゃがまなければ　飛び上がれない
どこかの説教みたいだけれど
真実は真実
足がつっちゃったね
もう　立っていられないや

「こら、目を覚ませ！」

有美は立ち上がり
手を差し出してくれる
マユコのおかあさんのお墓の横に
猫ちゃん　眠らせてあげなきゃね
もしも　カノンに子供がいたら
って　出かけた言葉を飲み込んだ

グラスを洗って
食器棚に仕舞った
今日は大掃除をしよう
不要なものを全部捨ててしまおう
かっこうと鳴く鳩時計も
丸いテーブルも
それで何かが変わるのではなく
決意でもなく

なりふり構わず
これまでやってきたのだから

これからだって
あたしは
そうして生きていくのだから

なるみ　５

きれいな洋服屋さんも
おいしいハンバーガーのお店も
見むきもせずに
ぴんと背をのばして歩く
チョウコさんの後をおいかけた
のばした二本の指で
バスの乗車券をビシッと取って
階段をかけあがったチョウコさんにまけじと
ベルがチンとなった

電話で　おかあさんと話をしたあと
五分だけ泣くわよと言った
チョウコさんはどこにもいない

「おかあさんの名前、
　セキヤマユコっていうのね」

おなじ名前の友達がいたんだ
それでちょっとびっくりしたの
ただそれだけよ　と笑って
チョウコさんは窓のそとを見ている
バスがギシギシゆれるのは
きもちがいい
椅子にしがみついていると
体がバラバラになるような気持ちがする
リュックからおかあさんの本をだして
チョウコさんにあげた
なんど読んでも
おかあさんが何をかんがえているのか
わからなかったけど
高橋のおじさんの解説じゃ
おかあさんのきもちは
なんにも分からなかったけど

チョウコさんなら
ほんとのおかあさんのことを
知っているかもしれないって

なに笑っているの　と
チョウコさんに肩をたたかれて
大きな建て物のまえでバスをおりた
いまだから言うけど
昨日あんた　ほんと悲惨な顔してたわよ
時々　歩いている人にあいさつしながら
世界じゅうの秘密をならべて
どれを選ぼうかまよう博士みたいに
ツキくんはどこの星からきたの
って　ささやいた

「あんたなら聞けるわよ」

チョウコさんは
みんながふり返るくらいわらって
それから　とつぜん優しい声で
会うのが楽にったでしょう
と　言った

あたしは　なぜ
おとうさんに会いにいくんだろう

あれえ　チョウコ子供がいたんだっけ
古めかしい建て物に入ると
ずいぶん親しい声がする
あれチョウコさんがこの部屋に来るの珍しいね
ほら　その椅子あんたのじゃないでしょう
お尻をけっとばされて
男の人がどいた席
むずかしそうな本や
ずいぶん古そうなパソコンや
壁にはった星のポスターにかこまれて

木をほった
小さな黒猫が
ちょこんと窓辺にすわっている

こんにちは
猫さん

お名前　なんていうの？

マユコ　６

本州を北西に向かって蛇行する線路
遠回りして
長い距離を走ることも
歯を食いしばって最短距離を行くことも
労力は　さして変わらなかったのではないかと
後を行く者たちの言葉には
痛みが伴わない
まして
切符を手に入れるだけの僅かな足労で
こうして揺られている者には
想いなどと　口にすることすら
滑稽な一人芝居なのだろう

取材先の案内と訪ね先は
もう何度も繰り返し頭に入れた
あと何時間かで　心を空っぽにして
取材に望めるだろうか
これで連載の最終回だから
星に関係する場所を訪ねてみたかった
丘の上に立つ巨大な電波望遠鏡
星の声をつかまえるのだという
雑誌でしか見たことのなかった
物体へと昇華した人間の願望
距離　時間　想い
あらゆる局面における非日常が
詰まっているような気がして
その中に身を投げ出してみたいと
それは
言葉を綴る者として以前に
人としての純粋な興味
詩の雑誌にそぐう記事に仕上がるだろうか
あたしは　何を感じるだろうか
取材を楽しみに感じるのは
本当に　久しぶりだ

何度か乗り換えて
高原の小さな観光地の駅で降りた
タクシー乗り場のまえで
カメラマンが手を上げる
鞄を肩にかけなおして
息をついて　足を踏み出す

「電話かけたいの、
　ちょっとだけ待っていて」

鞄をまかせて公衆電話に辿り着くと
すぐに有美につながった
何を話そうか
電話ボックスのそと
太陽の光が溢れている

いま　誰かが笑った？

うん　今からタクシーに乗るところ
じゃあ終わったら電話するから
はやく帰っておいで
なるみからの連絡を聞きそびれたと気づいたのは
受話器を置いたあと
あたしの心は壊れているのだろうか
陶器の塊なのだろうか
なるみが　もしも
ツキくんという言葉を告げなかったら
あたしはいつもの調子で
「遅くならないようにね」と
告げただろうか

擦り切れたアスファルトの先
タクシーの運転手が
あれに登ればさぞかし眺めがよいでしょうなあと
白樺の木立の上に見えはじめた
巨大な電波望遠鏡を指し示す
空に向いた網膜と視神経を想像させる
星の声を聴くのはどんな気分だろうか
タクシーを止めて
カメラマンが外へ出る
どんなに大きなお碗を持っていても
星に向かなければ
声は聞こえない
どんなに星に手を伸ばしても
心が準備できていなければ
声は聞こえないんだね

心の感覚器官が
ひとつに寄り集まって
受信装置を形成する
スイッチを入れなければ
どんなに精巧な目を持っていても
どんなに高感度な心を持っていても

何も入って来ないんだよ

おかあさん　お日さまだよ
なるみの声が聞こえた

そうか
そうだったのか

月は
太陽の光で輝いていたんだ

運転手に断って　窓を開けた
思いのほか涼しい風が
緑を含んでいる
走り出した車が影を踏むたび
電波望遠鏡の姿が見え隠れする

声を嗄らして
あたし
みんなに逢いに行くよ

なるみ　６

「ツキくんって、まれに見る真面目学生よ」

トラックやバスや乗用車が
チョウコさんの車を次々と追いこしていく
今日は特別な日だから
あわてるわけにはいかないよね
チョウコさんはのんびりと
制限速度で車を運転する

「ツキくんがうちへ来た動機、変わってたわ。
　星くらい遠ければ声に惑わされずにすむって」

離れているからこそ
何があるか知りたいって思うものなのにね
特別な呪文を手に入れた魔法使いみたいに
チョウコさんが笑う
おとうさん　みんなの心の中が分かるの
今までだれにも言ったことなかったけど
チョウコさんならいいかと思った
ふうん　とうなずいて
チョウコさんは黙り込んだ

車の旅行　はじめてだったから
ドキドキしたけど
意外と平和だった
途中　なんにもないサービスエリアで
ソフトクリームをならんで食べるあいだ
おとうさんの勉強していることを
いろいろと教えてくれた

「ツキくんね、
　もうすぐ地球の裏側に行っちゃうわ」

次は　おかあさんも連れてくるのよ
そういうところ　私の友達とそっくりなんだから
チョウコさんがさびしそうに笑う
その人死んじゃったの？
うん　私が二十歳のときにね
サービスエリアを出発して
一度　高速道路を乗りかえて
小さな町に着いた
アンテナがどんな形をしているか
映画で見たことはあったけど
校舎なんかよりずっと大きいなんて
想像もできなかった
観覧車みたいって言ったら
月並みねえ　と
チョウコさんが口をとがらせる
どんな仕組みで星の声が聞こえるんだろう
おとうさんがうらやましくて
ちょっとだけ　腹が立った

守衛さんのいる門を通り過ぎて
白い建て物の駐車場に車をとめて
チョウコさんは　すたすた中に入っていく
あれ今週こっちだったっけ
ちょっと非常事態なのよ
つかまえた男の人から
おとうさんが食堂にいたことを突き止めると
また歩きはじめる
わたしはあとをついていきながら
きょろきょろするうち
チョウコさんを見失いそうになる
食堂をのぞいても
おとうさん　いなくて

「ははん」

階段をのぼって
屋上にでると
目の前に大きなアンテナが見えた
木の枝がからまったみたいな
ふしぎな形を
わたし　どこかで見たことがある
でも　どこだっけ
思い出せない

「あれ、チョウコさん」

すきとおった声がした

ほら　と背中をたたかれて
振り返ると
おとうさんが立っていて
あれ　なるみかあと
のんきそうに言う

おとうさん

わたしの頭をなでてくれる
わたしの知らない
日に焼けたたくましい手

こんなに簡単に
会えるんだね
おかしくて笑ってしまう

「おとうさん、大学楽しい？」

空で　太陽が光っている
腹が立って
はり倒したいくらいなのに
わたし　どうして笑ってるんだろう

おかあさん
ツキくんを見つけたよ