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●●● 素直 ●●●

新しい窓を作るのだと云って
彼は 朝早くから
ハンマーを壁に打ちつけている
急に思い立ったのだろうか
黒猫のカノンが 迷惑そうに
カーテンにくるまって 外を見ている

かっこう と
壁の鳩時計が時を告げる

お茶を入れるわと
彼に叫ぶ
聞こえたのか聞こえなかったのか
ハンマーをふるう彼の全身に
力が漲っている
壁にできた白い穴は
今や 人が入れるほど成長し
なお 壁の向こうは閉ざされている

変だ
かっこう は
鳩の鳴き声じゃない

彼は ハンマーを手に穴にもぐり込み
中から音が聞こえはじめる
台所から見えなくなる
穴の中にいるのは
どんな気分だろうか
あたしは テーブルに戻り
熱いお茶をゆっくりと飲む

  「おいで」

鳩が 時計の窓から飛び立ち
ひとしきり部屋を飛び回る
彼の手が 穴の中へといざなう
鳩は 彼の腕に舞い降り
丸い目でこちらを見る

かっこう と声がする
あたしの声に
とてもよく似ている

  「素直じゃないね」

やれやれ と
彼は 穴から抜け出す
身体じゅうの埃を払い
テーブルの冷めたお茶を飲む
鳩が 彼の腕から飛び立ち
窓から外へ出てゆく
彼に促されて立ち上がり
覗き込んだ穴は 
思いの外広い

  「ぼくには、
   きみが期待するような物語はないよ」

リビングほどの空間の真ん中に
丸いテーブルが 佇んでいる
向かい合った椅子と同じ数だけ
カップが 湯気を立てている
さあ と背中を押されて
穴にもぐり込むと
ひんやり
空気が 冷たい

  「あたしが邪なのは」      <<よこしま

あなたが素直じゃないからよ
あたしの声が 反響する
そうかな と
彼は しばらく考え込み
辺りを見渡し
ばつが悪そうに頭を掻く

  「作ってみたんだけど、
   どうかな」

勧められた椅子に座って
口に運んだカップのお茶は
苦くて美味しい

かっこう と
あたしの胸の奥
時を刻む音がする

  「あの時計に住んでいるのは、
   正真正銘の鳩だよ」

もといた部屋を振り返ると
あたしが座っていた椅子の上
カノンが 小さく丸まっている
そんなこと知っていたわ
あたしが 嘯く
ならいいんだけど
彼が 苦笑いする

本当に 素直じゃない

もう一杯お茶を飲もうかと
二人同時に立ち上がり
どうしてよいか判らずに
また 座りなおす

ぽっぽう と
鳩時計が時を告げた

[マユコの部屋 第9のおはなしTOP]

●●● 人 ●●●

目が覚めてからずっと
身体がしっくりこなくて
ふわふわ 浮いているような気分がする
黒猫が 窓辺に座っている
彼の姿がない
きっと まだ眠っているのだろう
あたしはひとり
台所でお茶を入れる

なにか変だ

テーブルの席で熱いお茶を飲み
ぼんやりと 窓から吹き込む風にあたる
黒猫は さっきから同じ姿勢で
ぴくりとも動かない
なんだろう
とても 強い違和感
あの黒猫は なにをしているのだろう

黒猫?

立ち上がる
窓辺に近づいて
そうして指に触れた黒猫の身体は
ひんやりと冷たい
動かないのは当たり前だ
身体が陶器でできているのだから
表面が しっとりと硬い
なんだろう
とても羨ましい

早く来てと 誰かが叫んでいる
声は 徐々に弱まって
不整脈のように
とくり 時折あたしの心を打つ
気がつくと
誰かがあたしの傍に立っていて
陶器の目でこちらを見ている

あたしは
それが彼だと断言できない

陶器の男の手が
あたしから陶器の黒猫を取り上げる
床に解き放たれると
陶器の黒猫は 窓に飛び移り
短く にゃあと鳴く
陶器の男の身体が どろどろに溶けて
中から
見覚えのある彼の顔が現れる
そうだったのか
きっと陶器になって
あたしは あたしでなくなるのだ

  「名前がなければ、
   何故不安になるのだと思う?」

彼から流れ落ちた陶器が
床の上で奇妙な形に固まる
あたしは 硬直して
瞬きもできずに彼を見つめる
名前がないから
陶器なのか 生身なのか
判別するすべがないから
だから互いに
彼は あたしを
あたしは 彼を
陶器かもしれないと思い込み

その実 二人とも

  「なにがおかしいの!」

そう叫んだのが自分だと気づく
彼が 声をたてて笑っている
カノンが ひげを揺らしている
とくり 心臓が
また鼓動を刻みはじめる

  「図星だったから」

ああ おかしいと
涙をぬぐって
彼は お茶を入れてくれる
テーブルについて
ゆっくりと口に運んだお茶の熱さが
あたしの肌
陶器を溶かしていく

  「人間って言葉の意味、
   知っている?」

彼は あたしの向かいの席で
子供の目つきになる
とても良いことを思い付いたときの表情だと
あたしは それを知っている

  「二人じゃ、
   間には入れないんだよ」

三人だから名前が必要なんだと
それは 彼の言葉
だから 名前が思い出せなかったから
誰かを陶器の人形に仕立てあげて
一人きりになりたかった
それは あたしの言葉

  「ぼくの名前は、
   ツキだ」

  「あたしは」

カノンが居眠りをはじめる
窓の外 とても良い天気だ

あたしは

  「マユコ」

よろしく と笑って
彼は 何事もなかったように
小さく欠伸をして
難しそうな本を読みはじめる

窓のカーテンが
風に揺れている

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●●● 在処 ●●●

さっきから
部屋のどこかに
知らない誰かがいる気がする
彼はさっきから なにやら忙しそうに
部屋じゅうをひっくり返して
探し物だろうか
せっかく入れたお茶に手もつけない

  「カノン」

そう呼ぶ前に
黒猫が あたしの膝によじ登る
この身体の何処に
カノンという存在が詰まっているのだろう
肉体が粉々に砕けたとしても
あたしは やっぱり
カノンの所在に辿り着けるだろうか

笑いがこみ上げる
長い時間を費やして
いったい なにをしてきたのだろう
何かが発現するたび
右往左往して
その中に居場所を見つけようと
あたしは

  「ねえ、
   流しの下は探した?」

彼が ついと顔を上げる
カノンという入れ物が
中身を伴っていないとして
それを見定める材料がない以上
信じるしかないのだ
あたしは 今見ている事象を

  「あったよ」

開けた扉の暗がりから
彼が 古びた砂時計を取り出す
白い砂が 落ちつづけている
なんだろう
とても懐かしい記憶
砂は 今にも尽きようとしている

  「あたし達はどうなるの?」

彼が 困った様子で
云えないと 首を振る
あたしは カノンを降ろして立ち上がり
彼の手から砂時計を奪い取る
覗き込んだガラスの中
月の降り注ぐ丘に
巨大な砂時計の塔が立っている

ヘンなツキくん と
少女が 笑う
怖くなんかないよ と
少年が 意地を張る

手を離しさえしなければ
ずっと一緒にいられるのよ

じゃあ 手を離したら

  「やめるんだ」

あたしは 彼を無視して
砂時計を逆さに返す
砂が 逆流をはじめる
流しの下に砂時計を押し込めて
最初からなかったことにする
彼は 残念そうに表情を歪めて
冷めたお茶をすすってから
突然 可笑しそうに笑い出す

  「時限爆弾だとでも思った?」

砂が尽きたら
部屋が上下逆さになる仕掛けなんだ と
彼はまだ 優位に立とうとする

  「でもまあ、
   びっくりさせるだけだけどね」

そんな科白にあたしが笑った意味さえ
いつもの調子で
見通してしまえるのだろうか
彼なら いともた易く
あたしの在処に辿り着けるのだろう

流しの下 扉を開けてみても
砂時計が見当たらない
時間を失って眠りこけた鳩の代わりに
ぽっぽうと
時を告げてみる
あたしは 彼になりたいわけじゃない
ちっとも愉快じゃないのに
笑いがこみ上げる
お茶を入れながら
彼が 数え歌を口ずさんでいる

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●●● 終焉 ●●●

朝 目が覚めると
家じゅうが埃っぽくて
窓を開け放ってみても
空気が ことりとも動かない
黒猫のカノンが
全身 真っ白にうす汚れたまま
窓辺に横たわっている
入れたばかりのお茶は
心なしか くすんだ味がする
彼が読んでいる新聞に
ゆっくりと亀裂が生じて
一枚 また一枚と
千切れては 床に落ちる

ぽっぽぉと
鳩時計が 時を告げる

  「お茶、
   入れたんだけど」

彼は 顔すら上げない
カノンは 身じろぎひとつしない
床の新聞を拾い上げると
灰のように形が崩れて
微粒子が宙に舞い上がる
ごとり 音がして
鳩時計が 壁から落ちて粉々になる
カップが 自重で潰れる
流れ出たお茶が
テーブルの大地を浸食し
幾つもの河を作る

  「恐かった?」

いつの間にか
彼が あたしを正視している
その声は
誰も知らない丘で風車が奏でる悲鳴のように
何かを諦めている

  「恐いに決まっているでしょう」

ごめん 気づくのが遅くなって
彼は あたしを招き寄せて
冷たい指でうなじを探り
スイッチを見つけて時間を切る
あたしの服の胸元をはだけて
小さな蓋を外して
中に詰まった部品を手際良く取り出す
奥の歯車を調べて
ああここだと 故障部位を特定する
どさり
間近でテーブルが崩れる
残念だな使いやすかったのに
乾いた物言いで
外れていた歯車をもと通りに嵌め込んで
蓋を閉めると
彼は あたしの手を取り
自分のうなじにあてがう
彼の時間もやっぱり止まっている

  「同時に入れよう」

一 二 三
時が止まっているのに
数をかぞえるのも奇妙だ
四 五 今だ
彼のスイッチを入れる
彼もあたしのスイッチを入れたのだろうか
七 八 九 十
部屋の様子が変わったようには見えない
否 何も起こらないという事象が
起こったのだろうか
何かが起こるという事象が
起こらなかったのだろうか
笑いが込み上げる
きっと どちらも同じことなのだ

  「おかえり」

彼は 部屋を見渡して
深いため息をつく
カノン と呼んでみて
あたしは 窓辺から目が離せない
黒猫の身体は
小さく丸まって 微動だにしない
あたしが発する嗚咽を
冷静に分析するあたしがいる
そんなあたしを観察するあたしがいる
どこまでがあたしで
どこまでがあたしでないのだろう
うなじを探っても
スイッチは見つからない

  「行こう」

彼が あたしの手を取る
その力は 圧倒的で
だから余計に
足が竦んで動けなくなる
カノンは死んでしまったの
この部屋はどうなってしまうの
あたしは誰なの
あなたは誰なの
あたしは

どこにいるの

  「ここにいるわ。
   だからあなた一人で行って」

彼は 予期していたのだろうか
カノンの亡骸を細い指で撫でて
さよならを言い残す
あたしは 無惨な部屋を
それでも丹念に片付ける
地面がないから
カノンの死体を埋める場所がない
玄関の扉が開く音がして
まもなく閉ざされる音がして
彼の存在が 消える
あたしは いつまでも
部屋を片付けつづける
彼の痕跡がなくなるまで
いつまでもいつまでもいつまでも
いつまでも
片付けつづける

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●●● 夜明け ●●●

冷たい夜
椅子から立ちあがれずに
カップを手に取ったりテーブルに戻したり
処し方に困って
それを 彼のせいにしそうになる
崩壊した部屋のなかで
ただひとつ 風化を免れた
彼が壁を破って作った居間を
封印する材料さえ
部屋には残されていない

あたしの上着にくるまって
黒猫の死骸が
窓辺で冷たくなっていく

彼は 立ち去り
あたしは 残った
そう 彼もまた
一人で始めたのだろう
あたしが この部屋に辿り着く以前
別のあたしも
やっぱり 彼を残して立ち去ったのだろうか
あるいは

彼だけが
残されつづけたのだろうか

あたしもまた
もっともらしい思想に基づいて
次の彼を招き入れるのだろうか

笑いがこみ上げる
残されたのではない
あたしの居場所は ここなのだ
自分でそう決めたのだから
あたしは 胸を張って
歩き出そう

  「ねえ、
   そうでしょう」

あれほど不思議だった
彼の立ち居振舞い
あたしが 誰なのか
何処から来たのか
問いたくて問いたくて
きっと 懸命にこらえる姿だったのだ
全身全霊をあげて
どれだけ想い焦がれただろう
そんなものは
どこにもないというのに

あたしを機械に仕立てあげて
本当のあたしを探しにいくだなんて
そんな 理由を作らなければ
出ていけなかった
可哀想な人

新しいお茶を入れる
彼がいつもそうしたように
背筋を伸ばして
琥珀色の液体を飲み干す
空になったカップを手に席を立つ
彼の居間を後にして 部屋に戻ると
なにもかもが 記憶の通りになっている
壁の鳩時計が ぽっぽぅと鳴く
テーブルと椅子が
部屋の真ん中で あたしを待っている
開け放たれた窓
揺れるカーテンの下で
黒猫が にゃあと鳴いた

そう
彼にとって あたしは機械であるように
あたしのための時間があっても
不思議じゃない

  「カノン」

名前を呼ぶと
黒猫は 軽い身のこなしで
あたしに擦り寄ってくる
窓の外で 夜が白みはじめる
振り返ると
壁の穴が 今まさに消滅していく
半透明な膜が穴を包み
向こう側が 海の底さながらに揺らめいて
やがてそれさえもが
壁の色に塗り込められる
なかったことになる

だから 彼の記憶は
この手に残ったカップだけで
十分

たどたどしく
玄関のドアが打ち鳴らされる
二度 間を置いて一度
東の空が ひときわ明るくなり
窓から陽が射しはじめる
あたしは カノンを抱き上げ
そうして胸を張り

  「どうぞ」

彼を招き入れる
カップにお茶を入れる

また 一日がはじまるのだ

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●●● 始まり 終わり ●●●

玄関で靴を脱ぎそろえて
濡れた傘を丁寧にたたんで
そうして初めて
彼は あたしを見る

  「おかえりなさい」

カップのお茶が
白い湯気をたてる
椅子の上
黒猫が 毛を逆立たせる
目が合うと
やわらかく微笑む
カノン
そう 彼の唇が動く
あなたは誰 と
喉をつく言葉を押しとどめる

彼は 彼だ

  「今日はね」

差し出した手
指先に鳩が舞い降りて
丸い瞳で彼を見る
ぽっぽう と鳴くたび
身体の輪郭が揺らいで
ひとつ またひとつ
欠片がこぼれ落ちる
テーブルに転がる
何だろう
始まりが 判然としない
終わりが 繰り返されている
彼が拾い上げた欠片が
崩れて 砂になる

  「とても特別な日なの」

鳩は 跡形もなくなる
砂をかき集めて砂糖壷に収める
彼の手が 震えている
カノンが 椅子から降り立ち
窓から外へ姿を消す
どうして気づかなかったのだろう
いつだって
カノンは 外へ出て行けた

あたしだって

  「まず、
   お茶にしましょう」

彼と向き合って座り
カップに口をつける
暖かいものが
身体を満たしてくれる

  「なにが終わったんだろうって、
   今、考えたでしょう」

彼が使った手品
ぽっぽう と
鳩が 時計の窓から顔を出す
静かに息をして
背筋を伸ばして
両手を自分の胸に押し当てる
歯車の振動で
身体が小刻みに震えている
たぶん 大丈夫

  「なにかが始まるんだね」

彼をいざない
窓のそばに立つ
朝から降り続いていた雨が
いつの間にか止んでいる
遠くの街並み 家の軒先を
カノンだろうか
黒い影がよぎる
ぽっぽう と言ってみる

陽が 眩しい

  「始まるんじゃないわ。
   始めるのよ」

窓枠に足を掛けて
カーテンを揺らす風を受けて
一歩 踏み出す

前へ
あたしは 歩き出す

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