〜序〜

ときどき　欠けて見えなくなるけど
でも　いつでもちゃんとそこにあって
いつかかならずまた顔を見せてくれる
まわりの人に影響されて
満月になったり　新月になったり
風にゆれる三日月になったりするけれど
でも
お月さまは　お月さま
美しい　お月さま

紡ぐのは時間でも言葉でもなく
きっと　はてしない想いだったはず
かなたへと　あなたの放つ光は
めぐり　めぐりながら届くから
太陽や　地球や
遠くとおくの星々にどう見られようとも
だいじょうぶ
あなたが　美しいお月さまであるかぎり
じゅうぶん　だいじょうぶ
あなたは　いつか　たどりつく

あなたの光は
たしかに　ここにある

　　　　　　　　　　新月　[NEW MOON]

「おともだち、みつけたの。
　あのね、ツキくんっていうのよ」

マユコという名の少女が
ていねいに結った髪をゆらして
自分よりはるかに背の高い
ガラスの塔のまわりをかける
身体の小さな黒猫が
塔のなかで降りしきる砂の雨を
まばたきもせず　見あげている
ママン　と少女に呼ばれて
黒猫は　にゃあと小さく鳴いた

空にうかんだ　満天の星くず
さえぎるものすらなく
ただ　夜の広場をてらし出している
太陽とともに
月は　西へ消えたのだろう

「おねえさん、だれ？」

少女が　月の翳をしたがえて
こちらを　うかがっている
月は　太陽の従者なのだと
少女に教えなければならないのに
なすすべもなく
あたしは　砂の塔のなかで刻まれる
時のながれを目で追う

「あたしは」

あたしは　そう
時の刻みなど呑み込んでなお
静かに燃えつきるだけの　太陽

「あたしのことより、
　聞きたいわ、ツキくんのこと」

あたしの砂の塔におとずれる
哀しい記憶のかずは
なぜ　この少女には訪れないのだろう
少女のもつ月は
なぜ　哀しみの記憶の森へ
少女をいざないはしないのだろう

「あ、ほら！」

少女が無邪気に
砂の塔のかなたを指さす
いま　まさに砂の雨がやみ
時の刻みが
あらたな相へと　移ろうとしている
増えつづけた空間は
増えつづける時間へと
増えつづけた時間は
増えつづける空間へと

「いま、おそらがまばたきした？」

少女のあしもとで
黒猫が　しっぽをゆらしながら
小さく　のびをうつ
砂の塔は　なにもなかったように
ふたたび　砂の雨をふらしはじめる

　　　　　　　　　　三日月　[NEW CRESCENT]

あの子が　まだ小さなころ
ひとり歩きをはじめる前から
ひとりで歩いていける子だと
あたしは知っていた

それは　たぶん予感というよりは
なかば　願望にちかかったのだろう
あたしはきっと
あの子を　恐れていたのだ
ナイフのような　冷たい光を
暗闇に顔をのぞかせる　冷たい悪意を
あの子がいつか
太陽のまえにさらしだすことを
そうしてなにより　あの子が
あたしの忠実な模造であることを
あたしは知っていたから

だから　あたしは
あの子に与えたのだ

ツキという　名を

　　　　　　　　　上弦の月　[FIRST QUARTER]

「このこ、
　ツキくんのおともだちだよ」

少女の黒猫が　今日は
白いよく太った猫をつれている
だらしなく　寝そべっている
よく通る声で
ときおり　なおんと鳴く
あたしが手をのばすと
白猫はさらりと身をかわして
少女のうしろにかくれた
少女は無邪気に　白猫をいましめる

「だーめ、なおんったら。
　ちゃんとあいさつしなきゃ。
　ほらあ、たいようのおねえさんだよ」

少女が　見抜いている
白猫の目が　じっとこちらを見ている
砂の塔が　さらさらと時を刻んでいる

ああ　月が
あんなにも　満ちはじめている

「ツキくんは、元気？」

あたしは　砂の塔をはなれて
少女をいざない　野に解き放たれる
長い丘の階段をくだり
空のなかばにかかった月をあおぐ
月はしずかに　蒼のなかにたたずんで
あたしになにかを伝えようとしている

「ほらあ」

少女が　坂のなかばで空を指さす

「マユコのね、ツキくんだよ？
　ね、ママン。ママンってばあ」

少女は丘のうえでじゃれあっている
二匹の猫を呼ぶ
あたしは　全身を耳にして
月の声を　つかもうとする
けれど　どれだけ離れても
砂の塔がきざむ時間が
絶え間なく　心を叩きつづけ
なすすべもなく
あたしは打ちのめされる

少女には　聞こえはしないのだろうか
時のながれが刻む音が

　　　　　満ちていく凸月　[WAXING GIBBOUS]

月は惑星にはなれずに
気がつくと　地球のまわりをめぐっていた
月は太陽にむかって
助けてほしいと　懇願した
けれど太陽は　ほかの惑星とおなじように
恒星の光をそそぐかわりに
地球のつめたい翳に　月をとじこめた
月は暗くしずかな闇のなかで
太陽の光からときはなたれた星々と
そうして　地球の翳の声を聞いた
太陽が　地球の翳の鍵をといたとき
そこには　月の姿はなかった

ツキが幼いころのこと
ツキは地面にさまざまなボールをならべ
その中心に　砂時計をすえた
砂はさらさらと音をたてて落ちつづけた
ツキはちいさなタマゴを取りだして
地面のうえをすべらせた
タマゴは　不安定に転がっていたが
やがて　ボールのひとつにぶつかって
カシャリと　割れてしまった
ツキは　まばたきもせずに
殻からあふれだした
タマゴの中身を見つめていた

そうして　ツキの心は
壊れて　死んでしまった

　　　　　　　　　　満月　[FULL MOON]

地平線から姿をあらわした
鍵全な球形の月が
オレンジから白とうつろいながら
しずかに　天にさしかかる
少女は　黒猫を抱きかかえ
まぶしそうに　丘のかなたを仰いだ

「ほら、
　なおんが、ないてる」

砂の塔の頂上に見える　白い猫
月に照らされて　つめたく輝いている
あたしは　見てはいけないと思う
月の光は　やさしい表情で
心のなかにすべりこみ
その実　だれにも気づかれぬように
人の心を傷つけるから
なぜなら　あの白い光は
月自身のものではなく
あの　白い光は
太陽の光を　反射しただけの

あたしの

「あ、ツキくんだ」

少女が駆け出し
黒猫が　少女のあとをおい
丘のうえで　少年の翳とかさなる
あるいは　月がつくりだす砂の塔の翳が
偶然にそう見せるだけなのかもしれない
あたしのツキが　あんな場所に
いるはずが　ない

なぜなら　ツキは
砂時計を憎んでいたはず
あの丘のうえは
あたしが　時間のなかに
存在するためだけの場所

いいえ　あたしは
なにかを忘れてしまっている？

少女が　あたしを呼んでいる
少年の翳が　あたしを見おろしている
二匹の猫が　じゃれている

なぜだろう
なぜ　あたしは
あの丘から離れたりしたのだろう

　　　　　欠けていく凸月　[WANING GIBBOUS]

太陽がはなつ光は
惑星と衛星とに関係なく
その対象を　白い光のなかに描き出す
太陽のまえでは　分け隔てなく
恒星をのぞく天体は　太陽にたいして
つねに陽の表情を見せる

それは月についても変わりはしない

ああ　そうだ
いつから　あたしは
ツキを恐れるようになったのだろう
あの子が　背後にかくした感情を
あたしには決して見せない表情を
なぜ　疑うようになったのだろう

なまじ　惑星ならば
あたしの世界に
あたしの刻む時間のなかに封じ込めたまま
一生をおえることに
なんの疑いも持たなかったものを

あの子が　月だったばかりに
あの子が　地球にのみ相を見せることに
あたしは嫉妬して
あの子は　地球や他の惑星とおなじように
あたしに愛されたいと望んでいた
なのに　あたしは
あの子を拒絶し

あの子を砂の塔から隔絶して
時間のない　闇のなかへ
あの子を　封印してしまったのだ

そうやって
あたしは　ツキの心を殺した
ツキの心を殺して
亡骸を白い砂にくだいて
砂の塔を作り上げ
毎日　ツキのことだけを想いながら
自分自身を時間で刻んでいたのだ

それが　あたしが丘を離れられない理由

　　　　　　　　　下弦の月　[LAST QUARTER]

ゆっくりと　坂をのぼり
砂の塔の丘の頂上にたどりつくと
おだやかな表情で
少女は　砂の塔にもたれていた
黒猫と白猫は　ならんで
少女のそばで　おとなしくしている

空は　思いのほか
しずかだ

「あのね、
　ツキくんに、おはなししてもらったの」

少女は　かすかにほほえんで
ツキから聞いた話をはじめる

むかし　あるところに
みごとな　金色のたてがみをもった
王様のライオンがいました
ある日　王様ライオンは
世界でいちばんおいしい　金色を
食べてみたいものだと　思いました
早速　世界中の知識者をあつめたところ
それは太陽だという結論に達しました
そこで　王様ライオンが
太陽を食べようとしたところ
太陽は　王様ライオンを諭しました

　　　「わたしなんかを食べて、
　　　　おいしいなどと云った日には、
　　　　それこそ末代までの恥さらしだよ。
　　　　満ちて真円になった月ほど、
　　　　おいしい金色はないという話だ」

王様ライオンは
それももっともだと考えて
美しい満月を
おいしそうに　食べてしまいました
さて
すっかり　満足した王様ライオンが
その後　どうなったかというと

「さあ、
　どうなったでしょう？」

少女が　くったくのない表情で笑う
いつのまに　いなくなったのか
白猫の姿が　見あたらない

さらさらと
砂の塔が　砂の雨を降らしている

「あはは、
　かんたんじゃない。
　きんいろライオンになったんだよ」

あたしは　涙がこみあげるのを感じる

そうだ
あたしは　砂の塔に
ツキを
食べたのだ

おいしい　おいしいと云って
ツキを食べる砂の塔を
あたしは　いとおしいと感じたのだ

空が　白みはじめたというのに
どうして月は
冷たく光っているのだろう

　　　　　　　二十四日の月　[OLD CRESCENT]

あたしが殺した　ツキの心
王様ライオンが食べてしまった月
いつしかあたしは　ツキを恐れて
自分のなかの　もうひとりの自分から
目をそむけてしまっていた
そのくせ
砂の塔にツキを食べさせて
そうして　ツキを殺したことさえ忘れて
ツキが　遠くへ往ってしまったことにして
それを砂の塔から離れられない理由にして
あたしは　長いあいだ
まやかしのツキを待ちのぞんで

なぜだろう
あたしは　なぜ興味本位で
砂の塔に　ツキを食べさせたのだろう
なぜ　王様ライオンを
月を食べるように唆したのだろう

かわいそうな　ツキ
だれにも愛されずに
生まれることなく
ただ　枯れるだけの
命が

　　　　　再び、新月　[NEW MOON, AGAIN...]

　　　　　「だいじょうぶ」

どこかとおくから
声が聞こえる

ああ　なにも見えない
太陽の光がつよすぎて
もう　月の形さえわからない
あたしはまだ　砂の塔の丘にいるの？

　　　　　「あなたのツキは、
　　　　　　まだ、しんでいないから」

死んでいない？

ああ　まもなく
砂の塔の　砂の雨がつきる
ふたたび　月は次の相へと移り
増えつづけた空間は
増えつづける時間へと
増えつづけた時間は
増えつづける空間へと
あたしは　時の流れのなかへ手を

　　　　　「ふれないで。
　　　　　　にげては、だめ。
　　　　　　ツキのこどうに、みみをすますの」

砂の雨がやみ
砂の塔が死にゆく
月の相がとだえ
時のながれがとだえ

・・だれ？

いま　声がした

あたしのなかで　だれかがあたしを呼んだ
それとも　これは鼓動？
あたしではない
けれど　もうひとりのあたし

生きているの　あたしのツキ
ずっとそこで
あたしが気づくのを　待っていたの
はじめて　あたしのなかに訪れたときから
ただ　外へ出ることだけを夢見て
遺伝子の半分を
あたしに与えられた命として

「・・やっと、気がついた」

だれかがささやく声
あたしは　気怠く身を起こし
まわりを見回して
ふと
長いあいだ眠りつづけていたことに気づく
見慣れない　白い天井
南にむいた　大きな窓
砂の塔は　どこにもない
少女は
少女がママンと呼んでいた黒猫は？

「マユコちゃんは、
　どこ？」

白い光につつまれて
だれかが　あたしに笑いかけている
いったい誰だろう　この人は
知っている　あたし

「元気だよ。
　ほら、きみのとなりで眠っている」

やさしい表情で
あたしの頬をなでる
そう　あたしのたいせつな人
そうして　やわらかい毛布につつまれて
あたしのとなりで
しずかに眠りつづけている
幸せそうに　ほほえんでいる
あたしの　赤ちゃん

あたしのツキ
あたしであって　あたしでないもの

「ねえ、美純？
　あたし、マユコちゃんの夢を見ていたの」
「どんな、夢？」
「太陽と月と、
　金色ライオンの夢」
「なんだよ、それ」

窓のそとで　白い風がさわいでいる
薬っぽい　病院特有のにおい
美純は　笑いながら立ち上がり
ナースステーションに向かう
あたしは　マユコに手をのばし
そっと　やわらかい頬にふれ
マユコの見つけた　ツキくんのことを想う

「あたし達、
　いつか黒猫を飼うような気がするの。
　その猫にね、マユコちゃんが、
　ママンって名付けるの」

美純が　ふりかえり
不思議そうに　あたしをうかがう
あたしは　しずかに目をとじて
長いあいだ閉ざされていた
地球の翳に想いをはせる
夢のなかへと
マユコのいた時間のなかへと

とても近くで
にゃあと　黒猫が鳴いたような気がした